【真田ナオキ】ギャップ萌えイケメン演歌歌手のプロフィールと経歴とは?

真田ナオキ

その端正なルックスと、力強い”ダミ声”とのギャップが凄いと話題の、イケメン演歌歌手

真田ナオキさん!

私自身、初めて彼の最新シングル「恵比寿」を聞いた時、顔と歌声が一致しなさすぎて、頭が混乱するレベルでした(笑)

事務所が掲げた彼のキャッチコピーは、なんと

「恋する確率100% ノックアウトボイス!」

なんですって!

確かに一度耳にしたら忘れられない彼の歌声は、唯一無二のもの。

そんな話題の真田ナオキさん、どんな人物か気になりましたので、ガッツリと調査!

生い立ちや家族、性格や経歴など、余すところなくお伝えしてまいりますのでぜひ御覧くださいね♪

真田ナオキの基本プロフィール

まずは真田ナオキさんの基本プロフィールから!

  • 名前:真田ナオキ(本名:松谷大介)
  • 生年月日:1989年12月22日(30歳)
  • 星座:山羊座
  • 血液型:O型
  • 身長:177cm
  • 出身地:埼玉県さいたま市
  • 好きな言葉:精神一到
  • 初めて買ったCD:モーツアルト
  • 所属事務所:TAKE OFF

「真田ナオキ」は本名ではなく芸名です。

”真田”は彼が大好きな戦国武将「真田幸村」からいただいたのだとか!

2020年1月の新曲発表会の折には、真田幸村を意識した甲冑姿で登場する一幕もありました。

とっても凛々しいですね!!

真田ナオキの生い立ちは?

そんな真田ナオキさんが生まれたのは1989年の12月のことでした。

(平成元年生まれなんですね!)

子供の頃の真田さんは、小学校1年から中学生くらいまで野球に打ち込んでいました。

知り合いが少年野球団の監督をやっていて誘われたことから始めたそうです(ありがちなパターンですね)。

しかし小学4年生くらいまでは砂遊びばかりして、野球にはあまり真面目に取り組んでいなかったとか(笑)。

ところが、5年生からはエースだった同級生と仲良くなったのをきっかけに真面目に取り組むようになります!

そうして真面目に取り組むようになるとメキメキと頭角をあらわした真田さん!

実は彼が所属していたのは、野球の名門・浦和リトルシニア

そこで、年間最優秀選手賞を取ったり、日本選抜に選ばれて、田中将大さん坂本勇人さんと共に世界大会に出場するなど、非常に輝かしい活躍ぶりだったそうです。

ポジションはセンターで、野球に打ち込む日々でした。

ところが・・・そんな彼を怪我が襲います。

日本代表に選ばれた直後に右ひじの靭帯を痛めてしまったのです。それでもだましだまし野球を続けていたのだそう。

しかし、やがて遠投もままならないようになり、野球を離れることになります…。

当時はプロ野球選手になることしか考えずに過ごしてきたという真田さん。

その夢が絶たれる辛さは察するに余りあるのですが、彼はインタビューでこのように答えています。

ーー野球を通じて得たものはどんなことがありますか?

人生で一番最初に挫折を味わえたことですね。

優勝や選抜などの栄光を味わせてもらったのも野球、それを失って挫折したのも野球で。

僕の場合それがすごく早い時期だったので、そこからいろんな経験、景色が見られた。

今考えるとよかったなと思います。

何かつらいことがあってもその時と比べて全然つらくないと考えられる。

「なんとかなるさ」精神が培われましたね(笑)

引用元:オリコン

栄光と挫折。

野球をやっていたことで両方経験したこと、そして早い時期に経験できたことは結果的に良かったと言っています。

プラス思考で前を向く、そんな精神力の強さが野球で培われたのでしょうね!

真田ナオキの家族は?

続いては、真田ナオキさんの家族について見ていきましょう!

父親は演歌歌手!

真田ナオキさんの父親は、演歌歌手の「桂竜士」さん(本名:松谷東秀さん)です。

「ザ・昭和の演歌」の真骨頂という感じですね!

独特のしゃがれた声が、親子だなあと感じさせます。

また、桂竜士さんは埼玉県の南浦和で

「カラオケラウンジ愛歌」

というお店も経営しているそうで、お店には真田ナオキさんのファンも良く訪れるのだとか!

美人の姉もいる!

真田ナオキさんには美人のお姉さんもいらっしゃいます!

桂竜士さんがご自身のブログに掲載していましたよ♪

お名前は「亜耶(あや)さん」とおっしゃるそうです!

こちらのお写真は亜耶さんのお誕生日を「カラオケラウンジ愛歌」でお祝いした時のものだそう。

真田ナオキさんもお姉さんのお誕生日のお祝いに駆けつけた様子。

本当に、目が大きくてお顔立ちの整った美人さんですよねー!

真田ナオキさんもイケメンですから、このお二人はまさしく美形姉弟ですね!

真田ナオキの人物像は?

続いては、真田ナオキさんの人物像に迫ってみましょう!

真田ナオキはどんな性格?

真田ナオキさんは、ご本人曰く

「根暗な性格」

なんだとか。

ファンクラブ発足イベントでも

声も低いし、もともと根暗な性格だから、暗い曲の方が自分には合っていると思うが、様々な歌番組への出演をきっかけに明るい曲にもチャレンジすることが増えてきている

と語っていました。

しかし、彼の周囲からは

「彼は謙虚だし、オチャメ!」

なんていう声もきこえてきます。

とあるイベントで、出演者が多く楽屋がギュウギュウ詰めの大混雑だったとき、デビュー間もない彼は外に止めた車で謙虚にそっと着替えていたそうですよ。

しかも、目撃者の言うことには、彼はパンツ一丁にまでなっていたとか?!

そんなあれれもない姿なのに、目があった瞬間、にっこりと笑ってくれたという真田さん。

なんともオチャメですよね(笑)!

真田ナオキは”スイーツ作れる系男子”だった!

そうかと思えば、スイーツを作れたりするという意外な一面もあったりするそうで!

これまで、ファンとの交流イベントで、このように手作りのスイーツをプレゼントすることが結構あったんですって!

ファンのために手作りしてくれるだなんて、すごく素敵ですね♪

真田ナオキはファン思い!

手作りスイーツのエピソードからも伝わってきますが、真田ナオキさんはとってもファン思いなんだそうですよ!

https://twitter.com/ehana0601/status/1057042668776128514
https://twitter.com/piso2017/status/1077639011798138881
https://twitter.com/kanaemori3/status/1122391887287947266

ファンの皆さんや、一緒にお仕事をされた方からも、

「ファン思い」「ファンを大切にしてる」

という声がとっても多かったのが印象的です。

真田ナオキが歌手を志したきっかけは?

真田ナオキさんは、2016年に26歳でデビューしています。

どちらかと言えば遅めのデビューかな、という気がしますよね。

そこで、今度は真田ナオキさんが歌手を志した経緯について、くわしく見ていきましょう!

歌手を志したきっかけとは?

少年時代は野球に打ち込み、怪我で野球を離れた後も、空手やゴルフ、ボクシングなど、身体を動かし続けていたという真田さん。

そんな彼が、「歌手」を志すようになったきっかけとは何だったのでしょうか?

――現在は歌手として活動されていますが、野球を離れられた後、どんなきっかけで歌の道を志したのでしょうか?

野球を諦めたあと、ゴルフやボクシングをやって、その後普通に働いていたんですけど、東日本大震災の時に、いろいろな歌手の方が炊き出しに行ったり歌で元気づけていらして。

それまで、まったく音楽に興味がなかったんですけど、たまたまテレビでまだデビュー前の臼澤みさきさんの歌声を聴いて、歌の力を実感して、涙が止まらなくて。

あれがなかったら歌の道に進むことはなかったので、人生180度変わったなって感じです。

歌の道に行くんですが、なぜか「僕は(歌の)プロになるんだ」という根拠のない自信がありましたね。

引用元:オリコン

実は真田ナオキさん、10代の頃からずっと、父親から歌手の道を強く勧められていたそう。

当時、中学卒業後に建築業に就いていた真田さんは、頑なにその勧めを拒み続けていたのだとか。

そんな中、2011年に東日本大震災が発生。

近くのさいたまスーパーアリーナが避難所となり、多くの歌手が慰問に訪れる姿に心を打たれたのだそうです。

歌が人々を癒やし、救うところを目の当たりにして、歌手を目指そうと決めたのですね!

プロの歌手になるため血の滲むような努力を重ねた!

そうして、歌手の道を志したとはいえ、いきなりプロの歌手になれるわけではありませんよね。

真田ナオキさんが歌手になろうと決めた当初、その歌声は爽やかな感じのものだったそうです。

しかし、その声に特徴を持たせようと試行錯誤が始まります!

ただ、その方法はどれも聞いてびっくりなものばかり。

  • 唐辛子をおやつ代わりに食べる
  • 日本酒でうがいをする
  • 海の潮風に向かって叫びまくる
  • カラオケボックスに6時間こもって歌いまくる

・・・などなど。

思わず絶句してしまうレベルの「荒行」を繰り返し、何度も吐血するほどに喉を痛めつけた真田さん。

そんな、まさしく血の滲む努力を重ねて手に入れた

「極上のダミ声」

が、彼の武器となります!

本当に、彼の歌声は非常に印象的で、一度聞けば耳に残りますよね!

そうして、元からのルックスの良さと、努力の賜物の「極上のダミ声」という武器を手に入れた真田ナオキさん、いよいよチャンスをつかみます!

真田ナオキの歌手としての経歴は?

真田ナオキさんの転機は2015年。

吉幾三さんの前で歌うという千載一遇のチャンスを得ました。

その結果、吉幾三さんに弟子入りすることができたのです!

その後、2016年4月に吉幾三が作詞作曲した

「れい子」

でデビューを飾りました!

2017年6月には第2弾シングル「別れの夜明け」(吉幾三作詞・作曲)をリリース。

2018年4月25日には、1stアルバム「メイド イン ナオキ」を発売。

2018年9月には、第3弾シングル「酔いのブルース」を発売!

2020年1月には事務所を移籍して初のシングル、「恵比寿」を発売!

「恵比寿」では、それぞれカップリング曲が異なる

”西口盤”と”東口盤”

が同時リリースされるという面白い試みも!

コレは・・・ファンは両方買ってしまいますよね!

 

このように、デビュー以来、年に1枚程度のペースで新曲のリリースを続けてきています。

また、最近ではNHKの「うたコン」への出演や、ラジオで曲が流れるなど、メディアへの露出も増加してきている印象です。

2020年5月には初のワンマンライブを東京キネマ倶楽部で開催予定だそうですよ!

まとめ

今回は、今注目の

ギャップ萌えイケメン演歌歌手
真田ナオキさん

について、彼のプロフィールや家族、性格、経歴など、彼の人物像に深く迫ってまいりました。

少年時代は野球に打ち込み、一度は栄光を手にしながらも怪我で挫折。

東日本大震災を機に「歌の力」を目の当たりにして歌手を目指し、血の滲む努力で唯一無二の

「極上のダミ声」

を手に入れた真田さん。

吉幾三さんの弟子になるチャンスをガッチリと掴み取り、26歳でデビュー。

そして現在、4枚目のシングル「恵比寿」の歌い出し、

「惚れちまったの、俺!」

が話題となり、ブレイクの予感も大!となっています♪

これからも彼の活躍に注目して行きたいと思います!

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